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森まゆみ『東京ひがし案内』(ちくま文庫、2010年4月)

東京ひがし案内 (ちくま文庫)

東京ひがし案内 (ちくま文庫)

ぼくが生まれたのはお茶の水順天堂大学病院で、4歳か5歳の頃まで飯田橋のあたり、神楽坂は赤城神社の裏手の築地町に住んでいた。アパートのある路地の奥には製本所、出たところにはクリニックがあった。赤ん坊のぼくがそこの看護婦さんに抱かれている写真がある。かわいがられていたらしい。
通っていた赤城神社の幼稚園から丸い輪っか模様の坂道を下って家まで駆けて行く、その風景が今でも記憶に残っているのだ。
小学校に上がる頃に親が埼玉県にうちを買って引っ越した。母は飯田橋の出で、津久戸小学校出身。実家は新小川町である。父のやっていた写植屋が飯田橋にあったので、越したあともこの界隈にはなじみがあった。ご存じの通り、出版・印刷関係の会社が密集する地域なのである。
大学の時に父の会社の手伝いで、水道橋や後楽園、市ヶ谷あたりは自転車に乗ってお得意さんまわりなどしたのだ。
埼玉の家から飯田橋まで、父は車で通っていた。4号線を三ノ輪から金杉通りに入り、根岸を通って言問通り、谷中を抜けて根津から弥生坂を上って東大のまん中を突っ切り、本郷通りを横切って菊坂下から白山通りの西方交差点、さらにそこをまっすぐに抜けて突き当たりを左に曲がり、富坂下から春日通り、伝通院前で曲がって安藤坂を下り、大曲に出る。車の中から眺めるこのルートの情景は、もう目に焼き付いてしまっている。
飯田橋のあたりに住み続けていたら、どういう人生だっただろう。
東武伊勢崎線沿線の駅から大塚と池袋の間くらいにあった中高に通っていたので、地下鉄の町屋と西日暮里は毎日通った駅の名前だし、お茶の水の本屋に行くには千駄木、根津、湯島を通る。飯田橋に電車で行くには秋葉原からお茶の水、水道橋と通る。途中日比谷線で上野を通るし、東武線は浅草行きだ。
大学は巣鴨の駅から歩くか、大塚駅から都電で西ヶ原。都電に乗って王子まで足を伸ばして花見をしたっけ。白山、千石、本駒込はテリトリーである。
ぼくのこれまでの生存圏は、もうほんとうに東京の東っかわなのだ。
この本の中に出てくる地名は、だからなじみのものばかり。今挙げた地名がみな登場する。読んでいて楽しくて仕方ない。
森まゆみは、単に散歩するばかりではない。その土地のようす、建物や店のたたずまい、人々の姿を語りながら、それを作ってきた歴史を、歴史上の人間たちを、地図の上に重ね合わせていく。自分でも歩いてみたくなる。
いい本だな・・・。Webで連載されていたものをまとめた、文庫オリジナルとのこと。
中学高校の同級生だったタケさんは、この本にもでてくる根岸の竹隆庵岡埜の二代目だ。こごめ大福が名物です。