ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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今日はこんなことがありました

・7時半
ふと気になって手帖を見たら、今日は試験をする予定の授業あり。わお! 試験問題つくってない! 昨日何度も手帖見たのに。16日という日付を見ても、それが明日だという実感がなく、スルーしていたのである。しかし深層心理では恐らく把握していた。だから、ふつう朝は見ることのない手帖が気になったのだ。昨夜は授業や講義の準備、翻訳などで深夜までばたばたしていたから、それ以上の負荷を無意識に避けたのだろう。そして密かに押されていたタイマーが朝になって作動したというわけだ。うまくできてるなあ。
いそいで試験問題作成。なんとか間に合った。ふう。
・12時半
午前中の授業が終わって、教員室を出てキャンパスを歩いていたら、頭の中で「ホンダさん」という声がした。テレパシー? ふと周囲の世界が遠ざかり、地面が消えてふわりと体が宙に浮かんだ。ゆっくりと顔を上げ、空を見回した、というところで、はっと我に返る。急いで振り向くと、その大学の先生がこちらにやってくるのが見えた。ああ、後ろから呼ばれたんだ・・・。
・19時
18時に授業を終え、吉祥寺に向かう。パルコにあるビブロ吉祥寺店で、池内紀西江雅之トークイベント。車をパルコの駐車場に駐めようとして、どうやっても行き着けず、周囲をぐるぐる回るばかり。時間が迫る。ええい、と目に入ったマルイの駐車場に駐め、やれやれ、と一息ついてよくよく見ると、出庫は9時まで、それ以降は翌朝10時まで出られない、しかし金は取る、と書いてある! マルイって8時で閉まっちゃうのか。しかたない、とりあえずパルコへ。ぎりぎり間に合った。
両先生とも、大学で授業を取ったことがあるから、ナマのお姿は初めてではない。まあお歳は取られた。お二人はよく行く喫茶店が共通で、この20年ほど、ひと月に一回は顔を合わせているのだと。しかし西江先生は池内先生の顔を見るなりだじゃれを言い、ぱっと消えてしまうのだとか。
西江先生はいつものお話。しかし楽しい。先生が20代のときに書かれた本『花のある遠景』が新装版として今月出るのだとか。青土社より。
池内先生は、関口存男の評伝を出版。これも青土社より。語学畑の人がだれか書くだろうとずっと待っていたが、誰も書かないので、自分が書いたとのこと。関口存男の最高の著書は『冠詞』全三巻。言語で言語を説明することの不可能性、ヴィトゲンシュタインと同じその命題を、生涯かけて追求した、それが非常に興味深いのだと。
外国語を「ぺらぺら」話したい、と人は言う。しかし、「言葉」そのものには人格がない。話せば話すほど、自分という存在から言葉は離れていく。ある海外の学会でハンガリー出身のユダヤ人と知り合った。その人の発表はまさに明晰、論理明快。しかしそこに真実は含まれていないことを、本人はわかっている。そうやって言葉を武器にして、さまざまな危機をその人は乗り越えた来た。その人の本当の姿は、無駄話の中のだじゃれの裏にこそ、垣間見えた。そんな池内先生の話を受けて、人の話していることのほとんどは、嘘を話しているのだ、と西江先生。
日本語には擬音語、擬態語がたくさんある、虫の声を表す言葉がたくさんある、だから日本人は音に対する感受性が鋭いのだ、という説があるけれど、そんなのうそっぱち、と西江先生。擬音語がもっともっと豊かな言葉なんていくらでも知っているし、本当の虫の声は一匹一匹異なっているはず、それを「ちんちろりん」などとひとつの聞き方しかできないなんて、むしろ鈍感とも言えるのだ。と。同じ歌を誰が歌っても同じようにしか聞こえないなら、歌手などいらない。
西江先生によると、言葉の学習のコツは、一生懸命やること。覚えたことはすぐ忘れる、のが当たり前。「どうしたら早く効率的に英語が学べるか」とよく聞かれるけれど、そんなことを言っている暇があったら、その時間で「どうしたら早く効率的に英語が学べるか」は英語で何というか、と考える方がよっぽどよい。
やはり魅力的なお二人なのであった。
話の後でサイン会があったのだが、その時点で8時半、タイムアップ。車出せないとたいへん。後ろ髪を引かれつつ、会場を後にした。近所でこういう催しやっていて、ふらりと立ち寄れる、なんて、吉祥寺がうらやましい。
西江先生ラーメン好き、というのを思い出して、ラーメン食べて帰宅。
・22時
うちにいる金魚2匹、日曜日になにげなくプラスチックの水草もどきをいれてやったら、翌朝そこに卵を産んでいたのだ。今日家に帰ったら、娘が「卵の中に目がある!」と。見ると、確かに透明な卵の中に、昨日はなかった黒い点が。さて孵ったらどうすりゃいいのか。
いろいろなことがあった一日。オヤスミナサイ。