ホンダヨンダメモ(はてなダイアリー版)

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学生の顔を思い出しながら採点しつつ大学で学ぶことについて考える

 今朝、NHKの朝のニュースを見ていたら、大学全入時代と言われる現在、大学は中途退学者の増加に頭を悩ませている、として、ある大学の「取り組み」が紹介されていた。
 その大学は(歴史は古いが4年制の大学となったのは最近のこと、経済経営学部のみの単科大学)、中途退学者が3割にものぼっていたのだという。3時を過ぎると大学に学生がいなくなるという状況があり、学生の居場所として魅力的な大学作りをしなくてはならないと考えた、と担当者が語る。
 その「プロジェクト」の具体的取り組みが紹介されていたのだが、驚きと、まあそうだろう、という思いが絡み合って複雑な気持ちになった。
 24時間開放のキャンパス。学生にモチベーションを持たせる試みとして、夏休みになにをやろうと思うか、予定なりもくろみなりを書く、という授業の風景が映される。教員の会議では、なるだけ学生のわかる言葉で授業をしようという件について話しあっている。たとえば「傾聴」という言葉をどんな言葉に置き換えるかが議論される。「聞きまくり」? 「チョー聞く」? お、それいいね・・・などなど。
 大学である。このように書くと冗談のように思えるかもしれないが。しかし、画面に映る学生の顔はそれぞれ真剣で、かつ屈託がない。そして程度の差こそあれ、このようなことは今やどの大学でもかかえているのだ。
 でも・・・まあ退学者が3割となれば経営の危機であろうから悠長なことは言ってられないのだろうが(ちなみに学長は加藤寛だ)、大学という場の意味については、改めて考えさせられる。決まりにしばられず居心地が良くて、自分のレベルに合わせてくれて、「役に立ちそうな」ことを教えてくれる。もちろんそればかりではないのだろうが、「取り組み」としてそこだけクローズアップされると、ちょっと待って、と言いたくなる。中途退学させずに済んだ3割が、社会に出て中途退社からフリーター化する人びとの予備軍にならなければ良いのだが。
 大学は、未知のもの異質なものがそこここに隠れていて、怖そうなところ、めんどくさそうなところも勇気を出してのぞいてみるとそこに新たな世界があって、世界の成り立ちとその中での自分の位置を確認させてくれるところであってほしい。「役に立った」かどうかはあくまでも事後的にわかるものなのだ。
 ところで、以上のようなことよりももっと驚いたのは、画面に登場した教員がニット帽のようなものをかぶって授業をし、会議をしていたことだ。その人には帽子をかぶらねばならない特別な事情があるのだろうか。もしそうでないとしたら、この大学は学生にどのような人間になって欲しいと考えているのだろうか。学生を4年間の授業料と等価と見なす、のでなければよいが。そもそも、NHKはこの特集をどのような意図を持って放送したのか。この大学は、このような大学の実情をなぜ朝のNHKニュースで全国的に公開することを許可したのか(むしろ積極的に取材に応じているように見えた)。ひょっとしたら、こういうのは大学として、大学生として恥ずかしいことではないかというぼくの感覚はもう決定的にずれていて、「ああ良い大学だ」「ね、そうでしょう? 来てくださいね」というふうにみんな思う・思ってくれるはずと思っている、のだろうか(もちろん、登場した大学の本当の姿は知らない。あくまでニュースの特集で扱われたことのみをもとにして思ったことを書いたまで)。なんだかよくわからない。